昨日、テレビを見ていたら、こんなことがありました。
その番組の中で、「昔と今を比較する」というテーマに関連した映像が流れ、それに対するコメントで、あるタレントさんが、昔と今の状況の違いに、「隔世の感を感じますね」と表現したのですが、テロップでは「時代を感じますね」となっていました。
もちろん、ほぼ同じ意味だと思いますが、もし、そのタレントさんが、より感慨深い思いを込めて、あえて「隔世の感を感じますね」と使っていたとしたら、どうでしょうか。
当ラボではヒューマンエラーを研究しているので、それとどうつながるのかということですが、そのタレントさんが言葉に込めた意図が視聴者に正しく伝わるのだろうかということが気になったのです。もちろん、このケースはヒューマンエラーというほど大げさなことではありませんが、場面によっては、リスクになりうるのではないかと。
例えば、みなさまがお客さまの所にいって、商談をするとします。その商談の内容を議事録に取るときに、お客さまとしては、表現しづらいニーズのニュアンスを、ある意図を込めて使ったキーワード(いい具体例が思いつかずに申し訳ありません)を使ったにもかかわらず、議事録を書く際に、違う言葉に書き換えて上司や同僚に報告したら、もしかすると、お客さまのニーズが正しく伝わらないかもしれません。こんなことがないとは言えないのではないでしょうか。
冒頭の例は、テレビ局として、いろいろ層の視聴者に意味が伝わるように分かりやすい言葉を使っているのだと思います。もちろん、このケースでは全然問題ないと思いますが、場面によっては、問題になるリスクが絶対にないとは言い切れないと思います。
このようなケースは他の番組でもよく見るので、それも踏まえて、ヒューマンエラーから外れる話をさせてください。もう一度、テレビ局の意図を考えると、「隔世の感を感じますね」とテロップにしてしまったら、例えば、小さいお子さんが意味が分からないかもしれないので、誰もが理解できる言葉に変えたという側面もあるのではないかと想像します。一方、テロップでそのまま表現した場合、もしかしたら、お子さんが「隔世の感」って何って疑問に思って、自分で調べることで知識が深まる・・・なんてこともあるかもしれません。これはこれで悪くないと思うのは私だけでしょうか。
話を戻しますが、ヒューマンエラーを研究しているものとして、コミュニケーションエラーを防ぐためには、分かりやすい表現、言葉にするということは非常に重要だと思います。これは、ビジネスでも同様で、みなさまも普段の仕事から痛感されているのではないでしょうか。ただ、それがかえって、リスクを生むこともありうるというのもまた、コミュニケーションの難しさを表していると言えるのかもしれませんね。
テレビのテロップ
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